漆の歴史

日本の漆の歴史

日本列島での漆の利用は縄文時代からありました。土器の接着や装飾に使われているほかに、漆を塗った木製品や漆の塗られた櫛などの装身具も出土しています。弥生時代になると塗装技術も簡略化されたものが多く、武器類への漆塗装が見受けられるようになります。古墳時代になると皮革製品や鉄製品などにも漆加工を用いるようになり、漆で塗装した漆棺なども見つかっています。

鳥浜貝塚の赤色漆塗り櫛
縄文前期(約6000年前)の漆塗り櫛。刻歯式と呼ばれる一枚板から9本の歯を削りだした堅櫛です。頭部のU字型の大きな突起は、再生する鹿角の生命の永遠性や不老長寿の表徴とされています。縄文時代の櫛は、霊獣と漆の呪力が込められていたと解釈されています。

 

古墳時代には柩の内側に漆を塗って埋葬したり、武士が登場してくる時代には鎧や刀の鞘にも漆が使われるようになってきます。また、木と木の接着には漆と小麦粉を混ぜて使っていたことから、漆が生活の中で重要な位置を占めていたことをうかがい知る事ができます。


平安時代

宮廷内での漆器の使用が日常化し、朝廷直轄の漆工(漆工芸)が始まります。貴族の調度品のほか、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などの建物内部が漆で仕上られました。遣唐使廃止以降は、日本独自児の意匠や技法が確立し京都が漆工芸の中心地となっていきました。

鎌倉時代~室町時代

平蒔絵・高蒔絵・研出蒔絵という現代に伝わる蒔絵の手法は鎌倉時代に確立されました。室町時代には将軍の庇護のもとで多くの名工が活躍し、高蒔絵と研出蒔絵を併用したより豪奢な肉合蒔絵等の新技法が誕生し、数多くの名品が生まれることとなります。

安土桃山時代

茶の湯の確立と共に茶人の趣向に沿った漆器が多く生まれます。また南蛮文化の到来によってもたらされた欧風モチーフの「南蛮漆芸」作品も多く作られるようになり、キリスト教宣教師を通じて鎖国後も海外へ輸出され続けていたようです

江戸時代

幕府や大名家に仕えた漆工家によって精巧で豪華な蒔絵の調度類が多く制作されるようになりました。また一方で各藩の産業の奨励によって各地で漆器の産地が形成されるようになり、庶民の間にも生活用品としての漆器が普及していくようになります。長崎貿易を通じて蒔絵や螺鈿(らでん)の豪華な調度品が諸外国に輸出されて西欧の王侯貴族にもてはやされるようになります。

※螺鈿:主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。

明治時代

ヨーロッパでの日本漆器の好評を受けて政府の殖産興業政策による工芸品の輸出奨励策もあって、各地で特色のある漆器が産業として更なる発展を遂げることになります。

大正時代~現代

明治時代の終わり頃から大正時代にかけて、漆は輸出品の重要項目になっていきます。東洋趣味が欧米で流行し、それに向けての漆器が大量に作られるようになりました。その結果漆職人の生活にゆとりができて、更に良いものを作ろうということから芸術的なものが多く生まれてきます。
大正時代の終わりごろからは漆工芸の作家が活躍し始めます。皇室が海外の国賓に漆器をお土産として用いるようになったことも相まって、漆作品の製作を漆工芸作家に委嘱するようになってきたことも大きな要因の一つと言えるでしょう。
しかし残念なことに、漆工芸は庶民の生活から遠のいていくこととなってしまいました。


長崎国旗事件

昭和33年長崎市のデパートで「中国切手・切り紙展覧会」が開催された際に、天井から吊るされていた五星紅旗を日本人の若者が引き摺り下ろし毀損した。当時、日本政府が承認していたのは中華民国(台湾)であり、中華人民共和国の国旗である五星紅旗を保護の対象とはせず外国国章損壊罪とは扱わなかった事に対し、中華人民共和国政府は日本政府の対応を厳しく批判し制裁ともいえる行動に出た。日本との貿易を中止する旨の声明を出し、友好商社に限った取引が再開されるまでの約2年半の通商遮断によって中国大陸との貿易割合の高い商工業者は大きな経済的打撃を受けた。

漆も例外ではなく、この影響を受け廃業・失業が後を絶たなくなった。また、一方で漆に替わる塗料の開発が急務となり合成塗料としてウレタン塗料やカシュー塗料などが開発された。作業性の良さなどは漆に比べて優れているものの、その強さや風合いなどは到底漆に敵うものではなかった。しかしながらいつ終わるか分からない経済制裁の中で、カシュー塗料を用いた商品を展開していった業者も数多くあり、経済制裁が解かれた後の漆の販売低迷に少なからず影響を与える事になった


三方を山に囲まれて農耕に適さなかった福井県鯖江市の河和田地区が、越前漆器の里として全国に名を馳せるようになったのは明治時代です。当時の漆職人たちが、全国の旅館や飲食店で漆器が大量に消費されることに目を付けて積極的に営業して回ったことから、今日では業務用漆器の80%のシェアを獲得するに至っています。

 

写真は鯖江市越前漆器伝統産業会館(うるしの里会館)に展示されている作業風景のミニチュア人形